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お友達のお話し

お友達

タローがまだ外にいた時に
「タローのお友達」と呼んでいた。
でも今思えばたぶん違う猫。
お友達は誰ともつるまず、
ひたすら子育てに励む。
産んで育てて、一人立ちさせ、又産む。
強くたくましいノラ母だった。



タローが居なくなって半月程、お友達が裏の階段を歩いていた。タローのいないさみしさで、餌をあげてしまったが、危険な程に完全なノラ猫だった。それでも餌が欲しい時はやってくるようになった。栄養のある物を食べ出したせいか、随分と太ってきたものだと遠めに眺めていたら、赤ちゃん猫といっしょに屋根の上にいた。なんだ、女だったんだと解ったが後の祭り。

1度、赤ちゃん猫が屋根から落っこちそうになっていたので、見兼ねて屋根に上っていったが、お友達の恐ろしい威嚇にあった。トイレにでも行ったすきに赤ちゃん猫を捕獲したが、結果的に断念した。母の教育が良いのだろう、両手にすっぽり入るくらいの赤ちゃん猫のくせに、その迫力たるや「悪魔の化身、火の玉ボーイのシャーッ!!」と言うにふさわしかった。この子は後に近くのノラ猫通りで少し年上のキジ寅と仲良く育ち、一人前になったと思う。

お友達 捕まえて、不妊手術をしなくてはと思ってはみるものの、あっと言う間にお腹に次が入ってしまった。四季のある国の猫は発情時期がある程度決まっているが、この南国では猫の成熟も速く、又妊娠回数も多い。お腹が空けば次と言うわけだ。 又しても屋根での出産。今回は2匹いたが雨のひどかった日の後で1匹になっていた。その残ったのがブヒだ。屋根から裏の階段に橋を渡したおかげで、今回は親子ともども裏玄関に登場するようになった。お友達も以前よりは餌やりの私に対しての警戒心も弱くなってきたようだ。

ある日お友達はブヒを口に加えて、階段から屋根を移動していた。この光景は何度も見た事がある。隣のおやじの猫追い出し作戦のせいで、移動を余儀無くされる事があったのだろう。 しかし、今回は、屋根と階段の狭い隙間にブヒを落してしまった。私も慌ててかけ降りてみたら、ブヒは鼻血をだして、目をひんむいていたが、捕まえようとすると、もの陰に逃げ込んでしまった。お友達も探すが見つからない。それから1週間もブヒはでてこなかった。私はあの様子ではもうダメだなと思っていた。 ただ物陰を全て除けてみても死体はなかった。お友達は時折家でちょっと餌を食べるだけで、気狂い猫のように声を張り上げて呼び、あらゆる場所を捜しまわっていた。 一体どこに隠れていたのか、1週間も1月余りの子猫が飲まず食わずで生きていけるものか今もって不思議だが、ブヒはある日ちゃんとお友達といっしょにいた。

それからは1月はお友達のブヒ教育の日々だ。トイレの教育、狩りの教育、高いとkろから降りる練習などなど。疲れたら2匹でお昼寝タイム。愛情をいっぱいそそがれながらブヒは大きくなり、親ばなれの時が来た。ブヒは母親に甘えたいのだが、もうお友達は許してくれない。ごはんもいっしょに食べられない。尻尾にじゃれても威嚇される。急激な変化にとまどうブヒだが、それが動物の本能なのだ。お友達が完全にブヒを無視するのを見定めてから、私はブヒをケージにだまし閉じ込め、病院で検査して里親募集にだしてもらった。

しばらく姿がみえなかったがやつれてやってきた。もうすでにお腹に子いるんだろうなと、そんな時に不妊手術をするのは危険だとどっかに書いてあったと思っていた。そしてある朝、裏玄関を開けると、顔面血まみれのチビがいた。チビはもう目は化膿しているし、まだチビチビだし、ホントにこれは長くないかと思った。それでも須崎動物病院の栄養スープは飲めたようだ。その頃からお友達は調子が良くないようだった。時々平衡バランスをくずしてぐらっと傾く、餌は食べているようだが痩せていた。もうおっぱいもあまりでていないようだった。私が日本へ引越して間もなく、お友達は階段からバランスをくずして下に落ち動けなくなったそうだ。意識はあったようだがもう自分の力ではどうすることもできなかったようだ。チビはどうしようもなく、横にいたらしい。見兼ねたおじさんが、ずるずると引っぱって、かごに入れ病院に連れていってくれたが、すでに身体が軽かったと言う。お友達は安楽死し、チビも治療をうけ怪我はよくなった。以後チビはおじさんに面倒をみてもらい、現在は病院の里親募集にでているが、もらい手がつかず、又おじさんのところに戻ってくる事になりそうだ。 だれかチビをもらってください。(2005年7月現在)



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